Tuesday 31 March 2015

家の修復工事/窓篇





家の修復工事、窓枠篇。柔らかい木のパイン材で出来ていたこの古い窓枠、長年の風雨に晒されて、 もう朽ち果てる寸前って感じでボロボロ。実はそういう古い木のテクスチャーが味があって好きなもので、放ったらかしにしていたんだけど、強い雨が降ると窓枠の隙間から雨水が降り込むようになっていて、風雨の晩など音も凄いし安眠していられない。で、今回、思い切って窓枠をハードウッドで作り直してもらう事に。



因みに窓枠は外観に関わっているので、制作費用はこの家のフリーホールダーと折半。フリーホールダーとは、家の権利(フリーホールド)の持ち主の事で、私は彼らから999年の借地権(リース)を買って住んでいます。借地権の所有者はリースホールダーと言い、イギリスではこのような形の住宅売買が普通に見られます。
フリーホールダーは、私のフラットの階下二軒を今も所有していて貸し出していますが、最近ファースト・フロア(日本で言う二階部分)のフラットに住んでいた人が引っ越したのを機会に、売りに出す事にしたそうです。家の手入れをキチンとする、すごく良いフリーホールダーだから、できればずっと売らずに持っていて欲しい、と私なんかは思うんだけれど。

フリーホールダー、たまたま顔を合わせた時に、「このフラット、買わないか〜い?上と下と、両方持てるよ〜」と勧めてくれましたが。買えるんだったら、そりゃ買うけどねー。最近のロンドンの住宅価格、おいくら万円? では済まない領域。ざんねーん。



話が逸れました。窓枠、まずはガラスの入った部分から取り外していきます。よっこらしょっと窓から外に出て、やぐらから写真を撮ってみました。こうして見ると、外側もペンキがハゲハゲのボロボロ。



窓枠そのものは、かなりキツく嵌っているので、チェーンソーで切ったりバールでこじ開けたりしながら少しずつ外していました。



中々と股関節が柔らかい大工の丁稚。



古い窓枠が全部 外されたところ。開放感、ハンパなし。




次に新しい窓枠をはめていきます。



ほぼ完了。ほぼ、というのは、窓の開閉用の取手のサイズが合わず、この時点では開く幅を決めるレバーだけで、取手がまだ取り付けられていません。でも1日の時間切れで、大工の若者達は帰って行きました。そして、窓の外側は、下塗りの白のコーティングが一度塗られただけの状態なので、実は完全防水とは程遠い状態。…そして、外側のペンキ塗りを待っている間に雨が降りました。



…そしたら当然のように雨水が浸みてきた。うわぁぁぁ、ペンキ屋、早く来てくれぇい。…と思っていたら、昨日の晩は物凄い強風が吹いて…



窓の上、屋根の真下のブリキの抑えが外れてこんな事にっ。 夜中じゅう、バッコンバッコン音がうるさくて眠れなかった…。最初、左側が外れて折れ、風にバタバタ鳴っていて、「あぁ、窓ガラスに当たって割れたりキズがつくんじゃないか」と心配してたんですが、右側もバコッっと落ちてしまい、「…ドリフじゃないんだから…」って、ちょっと笑ってしまった。この部分は今朝、ビルダーが来て、力づくでバキっともぎ取ってしまいました。この部分は鉛で張り替えられる予定です。

…というわけで、まだまだ作業途中の窓なのでした。予定では今週末にやぐらが解体されるって話だけど、本当にそんなにうまくいくのか?大変に疑わしい。


 

Friday 27 March 2015

家の修復工事/天井編


現在、我がフラットの修復工事中。イギリスには古い家が多くて、皆んな修復したり、自分好みに改築しながら住んでいます。今回は一気に何か所も直すので、ブログで記録を取っておこうかな、と思います。まずは天井編。

 
 

…見事にヒビが入っております。今回、屋根の修繕で見積もりに来てもらったビルダー(日本で言う工務店のようなもの)、二人とも、「こういう状態だと、いつ落ちてもおかしくないよ。天井、何の前触れもなく突然落ちるよ」と脅す。…ていうか、実際そうらしいんですが。そして私はこのヒビの真下で寝てるっていう…。

天井を修復する為には、一旦現存の天井を落として張り替える工事になるために、部屋の中のものを全て外に出す必要があります。




…というわけで、大きめの家具二点をインターネット・オークションで売り、クイーンサイズのベッドは解体し、その他の持ち物をまとめて貸し倉庫に入れました。 天井の張り替え工事にそのものは、私がインドに出張に行っている間に行われ、帰って来た時には以下のような状態に。



天井を張り替えたあと、薄くプラスター(石膏)を塗った状態で仕上がっています。この、満遍なく平らに石膏を塗る左官技術、すごいな、といつも思う。私には決して真似できません。 左上の石膏がまだ乾ききっていないのは、多分天井を落とした時に壁が少し一緒に落ちちゃって、厚塗りしてあるんだろうな、と推測。天井のペンキ塗りは自分でする事になっていたので、早速近所のB&Q(大型DIYショップ)に出向き、脚立とペンキを買って来ました。









石膏が完全に乾くのを待って作業を始める。塗り始めたらあっという間。ついでに壁の汚れのタッチアップもしました。写真で見ると、タッチアップしたところが目立ちますねえ。

天井編はこんな感じ。突然天井が落ちてくる心配が無くなり、安眠出来ています。…ていうか、自分は強運だから、突然そんな事件が自分に起こる事は無かろうって、元々そんなに心配してなかったんだけど。 ヒビが無い天井って、ツルっとしてて良いもんです。

次回は窓の取り替え編の予定。

Friday 20 March 2015

春分の日の徒然

春分の日の今朝、ロンドンではほぼ皆既日蝕だったのですが、曇り空のため見えず。日蝕ピークの朝9時半頃、ヒョぉぉぉー、っと空気の温度が冷たくなった感じがしたので、あぁ、今お日様はほぼ全部隠れているんだろうな、と思いました。

…そして午後には快晴という、なんとまぁ皮肉なお天気。イギリス人の性質を現しているかのよう。


大ちゃんのカリカリが無くなりそうだったので、獣医さんに買いに行った帰り、お天気が良いのでChiswick Park に来ております。5kgパックのカリカリを背負って、幸せの「日向でコーヒー」中。


お天気が良いので外のテーブル、盛況です。


太陽に向けて写真を撮ると、既に日暮れっぽい。

オマケの大ちゃん・ショット。

 

Friday 13 March 2015

煙突掃除


私のベッドルームには、長いこと使われていない小さな暖炉があります。これを使える状態にしたいものだと常々思っていましたが、今回、家の修復工事が入ったついでに煙突掃除をしてもらい、今まで閉じてあった暖炉を開ける事にしました。



色が黒いのでわかりにくいですが、暖炉の奥、斜めになっているところが煙突に通じるフタです。ここを押すと、何かが詰まってるな〜、という手応えがあって、フタを開くことが出来ません。写真でも、砂っぽい粉の様なモノが、若干部屋側に落ちてきているのが見えます。



という訳で、煙突掃除の人に来てもらいました。煙突掃除人は英語でChimney Sweeper(チムニー・スウィーパー)。イギリスでは煙突掃除という職業が、今でも普通に成り立っています。 ビクトリア時代は、小さい子供が煙突の中に潜り込まされて掃除したとか、時代は知らないけれど、鶏を煙突の上から突っ込んで、その羽ばたきで煙突内の煤を払ったとか、色々と悲惨系な話を連想してしまう煙突掃除ですが、現代のやり方はキレイなもんです。



こうやって暖炉の入り口に大きなスポンジのブロックを詰めて、煙突内のゴミや煤が部屋に逆流しないようにしておいてから、掃除用の丸いブラシにビニールの袋を被せて、下から上に向かって掃除します。なので掃除人は屋根に登る必要も無いのでした。

煙突掃除が終わった後で、煙を炊いて煙突の状態をテストして貰いました。チェックポイントとしては、煙が部屋に逆流しないでスムーズに煙突に吸い込まれるかと、煙が自分の煙突以外の煙突から漏れ出たりしないか、という二点。もし自分のではない煙突から煙が出ていたら、自分の煙突の途中に穴が開いている事になり、安全性の確保のため、煙突内に耐熱性の筒を通す作業が必要になります。

結果。「今シーズン、一番きれいな煙突で賞」を頂きました(使っていないので、煤が全く出ていないためです)。長いこと閉じられたままだったにしては、 特にひどく傷んでいるところもなく、煙突の内側のレンガ屑がポロポロ落ちて蓋のところに溜まっていただけでした。薪を燃やす為の火格子を置けば、すぐに使えるという事でした。鳥とかネズミの屍体が出てくるんじゃないかと戦々恐々としていましたが(これ、煙突掃除では割に良く聞く話)、そういう事は全くなくて、ホッとしましたよ。

火格子ではなく、薪ストーブの設置も考えていたのですが、煙突掃除のお兄さんにアドバイスを求めると、暖炉を取り外してスペースを作らないと薪ストーブは設置できないという事でした。お兄さんによると、この暖炉、鉄製で、家が建った時に一緒に設置されたものだという事。そんな貴重なアンティークを取り外すのは惜しいので、火格子オプションで行くことにしました。

煙突掃除をして、煙突の状態をテストしてもらうと、一年有効の証書を発行してもらえます。煙突が原因で火事が出るという事があるらしく、この証書が無いと保険が下りないのだそうな。頻繁に暖炉を使う家などは、煙突内に煤が溜まり、定期的にきれいにしておかないと、煤に火がついて、それが原因で火事になったりするらしいです。煙突内に厚く煤が溜まると、石炭で煙突内が覆われている様なものなのだとか。

今年はもうかなり暖かくなってきているので、暖炉に火を入れる機会は無さそうですが、火格子ショッピングは今のうちにしておこうかな〜、と思っているところ。

気になるお値段は、煙突掃除が£60.00、煙突の検査が£40.00 プラスVATで、合計£120.00でした。

 

Monday 9 March 2015

インドから帰国して大ちゃんを迎えに行って来た。



乗り継ぎ便に乗り遅れるというハプニングはあったものの、無事先週の木曜日にインドからロンドンに戻って来ました。私がインドにいる間に、家の修復工事が 行われていたため、ベッドルームは上の写真のようにがラーンとした状態。床が土ぼこりで白くなってしまったのでワックスをかけ、それが終わった日曜日に大ちゃんを迎えに行きました。

ベッドルームは何も無い…でもキッチンはカオス。




…とまぁこういう状態のところに、大ちゃんを迎え入れました。大ちゃんは私がインドにいる間、yarnmaruさんちでお世話になっていたのです。毎日大ちゃんの様子がブログで更新されてて、毎日ブログを見るのが、そりゃー楽しみでした。

リンク先のブログの写真から分かるように、大ちゃん、あっという間に預かり先の家に慣れ、すっかりホームステイ先でリラックスしていて、「ここは僕の新しいおうち。この人達は僕の新しいかあさんと、新しいとうさん」って、完全にリセットされていた模様。 私がyarnmaruさんちに着いた時、大ちゃんはまずカーテンの後ろに隠れ、暫くして出てきたら、「このおばちゃんは誰にゃ? 知らない人が家に来るの、大ちゃんは嫌いにゃ」という顔をされましたとも。大ちゃん、リセットするの、超早くね? まぁ、「異国のシャイな王子」と呼ばれて、大事に大事に扱って貰えたもんねぇ。 でも、私の指とかカバンとか、匂いをスンスン嗅いだら徐々に思い出したようです。

そして大ちゃん、本来のお家に帰って来たわけですが、上の様な状態でいつもとは様子が 違うので、なんか落ち着かない様子です。ベッドルームは隠れるとこ無いし、キッチンはゴチャゴチャし過ぎだし。ごめんね〜、大ちゃん。もうちょっとで元どおりに戻るから、我慢してねー。

…というわけで、お家に戻った今日の大ちゃんです。



このカゴに入るとロクな事が無いにゃ。


こしてやるにゃっ。退治するにゃっ。



どうだ、参ったかにゃ。




最後は異国の王子らしくキリッとキメるにゃ。
(ペンキの缶とか掃除機とか、王子らしくない物が写っているのはお見逃し下さい)

 
ちなみにここに他の大ちゃんの写真がいっぱいアップしてあります。


 

 

Wednesday 4 March 2015

デリーで乗り継ぎ便を逃した時の覚書


まだデリー。

本当ならば今頃は機上の人となり、ロンドンへの帰路を着々と進んでいるはずだったのですが…今まだデリーに居ます。今日の予定は、 コルコタ(カルカッタ)を朝10時の便で出発、デリー国際空港に12:05pm 到着、14時45分発のロンドン、ヒースロー行きに乗るはずでした。…が、早朝のデリー上空の天候不良により、コルコタ発の飛行機が2時間遅れて出発。デリーに到着した時には、すでにロンドン行きの便は出た後だったという…。で、今インド航空が用意してくれた、空港近くのホテルに居ます。

乗り継ぎ便を逃したという話はよく聞くけど、経験したのは初めて。で、後々の為に今回の手続き、メモしとこうと思います。

まず国内線が到着したのは、ターミナル3(T3) の地上階。ここで入国審査のカウンターを抜け、スーツケースを受け取ったあと、空港の外に出る。ちなみに国内線で飛んできた場合には、入国審査の長い列ではなく、一番奥のCrew/Domestic と書かれたカウンターで、搭乗券にスタンプを押して貰って出ます。他の入国審査のカウンターでもオーケーだけど、Domesticのカウンターはほとんど並ばなくて外に出られました。


D と大きく書いてあるのが、国内線(Domestic)チケットの印

空港の外に出たら、ターミナル中程にあるエレベーターで2階の搭乗・出国フロアに上がる。ターミナルの一番端に、航空会社のチケット・カウンターがあるので、エアー・インディアの窓口(Ticketsと書いてある)に行き、乗り継ぎ便に間に合わなかった事情を話すと、その詳細を書いたペラペラの印刷物を発行してくれるので、それを持って、すぐ隣のオープン・カウンターに行く。この辺り、大人しく並んで待っていては、自分の番はいつまでたっても回って来ないので、インド人に習ってどんどん割り込む(どんだけ強気で割り込んでも、インド人には勝てなかったけど…)。

オープン・カウンターで、ペラペラの印刷物と引き換えに、ホテル、タクシー、飲食のバウチャー(一枚にまとめられている) 及び、代わりの航空チケットを発行してもらえます。


代わりのチケットも、こういうペラペラなものです。
バウチャーは写真撮るの忘れた。
 
バウチャー発行と同時に、案内の人が呼ばれて、タクシー乗り場まで連れて行ってくれます。そこでホテルの送迎車が来るのを 待って、乗り込む。

…と、こういう寸法なのですが、バウチャー発行カウンター、インドの縮図を見るようです。「わしは重要人物なんやー‼︎ 今日のミーティング、出られへんやったやんかーっ。明日のミーティングもお前らのせいで間に合わへんーーーっ。なんかよこせ、よこさんかーいっ」と、乗り継ぎ便に間に合わなくってキレまくるインド人のビジネスマンがいたりして面白かった。一回や二回、おっさんがミーティング出ーへんかったって、世の中回っていくやんねぇ。インド人のおっさん、概して血の気が多い。

その他、乗り継ぎ便を逃したのとは関係ないけど、インドの空港の変なところを二点。

まず、空港内には、特別に許可を得た人と、飛行機のチケットを持ったお客さんしか入れません。空港の建物の入り口で、軍服みたいな制服を着た兵隊さんみたいな人に、パスポートとチケットを厳重にチェックされます。私は今日、一旦空港の外に出て、また入ろうと思ったら、乗り逃した飛行機のチケットでは入れませんでした。

それから搭乗のチェックイン及びスーツケースを預ける時に、機内持ち込みの手荷物用にタグを渡されます。手荷物が無くならないように、親切に名札をくれたのかなー、 と思っていたら、実はこのタグ、とても重要。セキュリティー検査のX線の機械を通した後に、このタグにスタンプを押されます。この、「セキュリティー通過済み」のタグがついていないと飛行機に乗せて貰えません。もう一回戻ってタグを貰って、スタンプを押されてから戻って来るように言われます。


侮れない、手荷物タグ
インド、色々とメンドクサイっす。


 

Tuesday 3 March 2015

コルカタ

タージマハルに似せて建てられた、ヴィクトリア女王記念館

デリーでの通訳の仕事が終わり、現在コルカタに移動しております。全く興味が無く、好きでも無いインドに、なぜか縁あって三回も来てしまった私。でもコルカタは今回が初めてです。コルカタは、インドに来て初めて、あぁ、この街好きかも、と思える街でした。椰子の木が街じゅうに見られ、植民地時代の西洋建築の建物がそこかしこに残っているせいか、何だか落ち着ける雰囲気です。このまったりとした前時代的なコロニアルな感じ、良いかもよー。

コルカタはイギリスがインドで最初に入植した街だったので、なんとなく当時の雰囲気が残っているのかも知れません。でも最近の近代化で、古い建物がどんどん取り壊されて、現代的なビルに建て替えられているとか…。勿体なさすぎる。

昨日はヴィクトリア女王記念館の他に、観光で何ヶ所か見て回りました。



間も無くカラー祭りのせいか、寺院に続く仲見世通りでは、赤や橙の色素の粉が売られていました。これぞインドって感じで実にカラフル。






 
仲見世通りの様子





ちょうど昼寝の時間だったようで、犬も人も、道端でも境内でも、そりゃーよく寝てました。すぐ横を人が通っても、ピクリともしません。道端であれだけ熟睡出来るなんて大したものだ。
今日はこれから、インドで最後の通訳の仕事をして来ます。それが終わったら明日ロンドンに帰国。